2017年1月26日木曜日

443) うつは「鏡の段階」への退行状態

整心科学研究所(埼玉県上尾市・大阪市・和歌山市)のブログへようこそ。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい視点から人間の精神にアプローチする方法を研究中です。
今日は≪うつ≫について書きます。
うつは心の風邪ひきだと表現され、だれでも陥る可能性があるといわれます。
日々の生活の中での喪失体験が引き金となってうつ状態になることが多いようです。
ここでは、うつはラカンがいう「鏡の段階」へ退行した状態との観点から考えてみます。
『自我は他者のもとで構成される』
簡単にいうと、鏡に映った像を見て、「これが私だ」と知りそれを引き受ける体験。
うつという状態は、この段階へ退行し、再度「これが私だ」と自己規定しようとする試みだと捉えます。
そこへ退行するきっかけはそれまで自分を映していた鏡が無くなった時。
例えば以下のような問いに遭遇したときです。 
「あなたは何者ですか?」→「私は何者だ?」
「あなたは何をしたいですか?」→「私は何をしたいんだ?」
「あなたはどう思う?」→「私はどう思っているのか?」などなど
それらに対して「分からない」「知らない」「考えても仕方ない」なども一つの答えです。
つまり、「答えの内容ではなく、何も言葉を発せなくなった時」その時が問題。
その結果動けなくなる。
このように考えると動くための道筋がみえてきます。
鏡に映し、それを自分だと言える体験をすればいい。
ただその鏡には一つ条件があります。
それは、その人が安心だと感じる鏡であること。
その鏡が見つかれば大丈夫。
必ず動き始める時が来ます。 

2017年1月7日土曜日

442)心を癒す方法

整心科学研究所(埼玉県上尾市・大阪市・和歌山市)のブログへようこそ。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい視点から人間の精神にアプローチする方法を研究中です。
今日は≪心を癒す方法≫について書きます。
心が疲れ、それが持続し、その人の限界を超えた時。
そんな時、わたしたちの体は自分を守るための機能(自己治癒力)を発動するといわれます。
その表現方法は人それぞれ、同じ人でもその状況により 変化します。
あらゆる手段を使って元の状態へと戻そうとするようです。
それが表面的に不都合なことでも、その人にとってその時その方法が最善だった。
その視点からみる時、「人は皆、自分を癒す方法を知っている」と考えられます。
では、どのようにすればよいのか。
結論からいうと、今のところ具体的な方法は解りません。
ただ、ある何かがきっかけとなって自ら癒す方法に気づき、治癒に至ることもまれではないようです。
ある何かとは、音や匂いや味、ある状況、ある言葉だったりする。
不思議なことに、本人もなぜだか解らないと言います。
それはおそらく、日々の喧噪のなかで隠されてしまっているのではないでしょうか。
それがある何かをきっかけに湧き上がってくる。
もしそれを整心療法家が意図的に用意できるとしたら、今よりもっと気楽に癒すことができるのではないか。
そのように考え、研究、トレーニングをしています。