2015年2月19日木曜日

406)集中力の基は「まなざしと声」

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。
今日は、「集中力の基はまなざしと声」 について書きます。
集中力をもつことが大事だといわれています。
集中力を持つ、あるいは高めるにはどうしたらよいかについてもノウハウ本は多々あります。
ここでは、その集中力の基は「まなざしと声」にあるとの仮説をたて考えてみます。
まず、集中力を持つとはどういうことか。
一つのこと(もの)に焦点を合わせることです。
いわゆる一点に焦点を絞ること
焦点を絞るには二つの方法があります。
・自ら焦点を絞る何かを持っている場合
例えば目的や目標のものを持って探している場合です。
これは集中しようと意図している(集中する一点を持っている)ので、今は置いておきます。
・自ら意図したものを持っていないのに焦点を絞ってしまう場合 
例えば、急に物音()がした時、大抵は反射的に音()がした方に顔(意識)を向けます。
つまり、音(声)が振り向かせた=音(声)に集中した、音(声)を出した一点からこちらに音(声)が向かってきたといえます。
これをまなざしに置き換えてみます。
誰かのまなざしが自分の方にやってくる。だからそのまなざしに顔(意識)を向ける。
この誰かからまなざしを向けられる体験が意識を向け、それに注意し集中する基ではないかと考えます。
その最初は、やはり自らを世話してくれた対象(養育者=母)からではないでしょうか。
自らが意識しない時から、ただ一人の人から継続的にまなざし(優しく暖かいまなざし)を与え続けられたなら、それと同時に優しい声で語りかけられたなら、自ずとその声とまなざしの方へと顔を向け、意識を向けることでしょう。
つまり眼差しと声に導かれてその方へと意識を向けるといえます。 
ここで特に重視したいのは、「ただ一人の人から」と「継続的に」です。
特に「ただ一人の人から」というのはそのまま一点(光源)に通じると考えるからです。
また多数いると、目移りしてしまって一点に絞れないでしょう。
集中する=一点に焦点を絞ることですから。

この繰り返しが身体に刻印され、やがて集中力へと繋がってゆくのではないか。
つまり、ただ一人の人から継続的に眼差しと声を向けられ続ける体験が後の集中力の基となると考えるのです。 

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