2013年10月26日土曜日

354)好きなことの向こう側にあるもの

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題だと実感することでしょう。
 今日は、「好きなことの向こう側にあるもの」 について考えてみます。

好きなことの向こう側にあるもの、それは「私の喜び・仕合せ」ではないでしょうか。

「好きこそ物の上手なれ」とのことわざがあります。
故事ことわざ辞典によると、その意味は『
どんなことであっても、人は好きなものに対しては熱心に努力するので、上達が早いということ。』
注釈として『誰でも好きでやっていることは一生懸命になるし、それに関して勉強したり工夫したりするので、自然に上達するものである。
芸事は、無理して嫌だと思いながらやっても、成長はないということ。』とあります。(故事ことわざ辞典http://kotowaza-allguide.com/su/sukikosomononojyouzu.htmlより一部引用)

好きなことに対しては言うまでもなく、時間もエネルギーも惜しみなく費やします。
時には寝食忘れて没頭します。
そこには、努力も探究心も向上心も研究心も芽生えるでしょう。
それが結果的に充実した時間と感覚をもたらすことになります。
そして、嬉しい、楽しい、好きだ、仕合せだとの実感に繋がってゆくことになることでしょう。
その気持ちがより一層の努力と探究心、向上心、研究心を刺激する。
この正のスパイラルがどこまでも喜びと仕合せを生み出し続けるのだと思います。

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例えば、子どもに関する相談の中に「ゲームに夢中になって勉強をしなくて困る」というのがあります。
そのような場合にはまず、「それは素晴らしい」と言います。
なぜならその子どもには、夢中になれるエネルギーがあるのですから。
そのエネルギーの向かう先が、今は「ゲーム」だということです。
その先が勉強、スポーツ、習い事だと問題視しないでしょう。
だとしたら、問題とすべきことはエネルギーの向かう先ではないでしょうか?
あるいは、このように考えてみるのはどうでしょうか。
ゲームをするにも知識や知恵や技術が必要です。
ゲームを突き詰めればその先には際限のない未来が広がっているかもしれない。
だとしたら、しばらくはゲームに夢中になっている子どもを長い目で見守ってみるのも一つの方法かもしれない。
子ども自らがゲームの先に未来を見い出さなかったならば止めるだろう。
もし、何らかの未来を予感したなら、それを生かす何かを引き寄せるに違いない。
このような観点に立って子どもを見守れたなら、それまでとは違った見方ができるのではないでしょうか。

実例として、ゲームに夢中になるあまり、ゲームのキャラクター制作の道に進んだ人もいます。
またゲームクリエイターになった人、アニメ制作のスタッフになった人もいます。
彼らは「ゲーム」を通してその向こう側に、自分の喜びと仕合せを掴んだと言いました。
「生徒や学生にとって、勉学は優先すべきことである」との観点からは問題視されるかもしれません。
ゲームばかりしている姿を見ていたら、不安に思うことでしょう。
しかし、彼らの生き方も一つの社会参入の在り方だし、何よりも本人が喜びと仕合せを味わっていることが素晴らしいと思えるのです。
何をしているかよりも、どのように生きて(感じて)いるかが重要ではないでしょうか。
人は何よりも自分が好きなことをしている時が、一番イキイキ生きていると実感でき、喜びと仕合せを手にしている時だと思うのです。
その時、自ら自発的、積極的に必要なことを求め、学び、吸収し、活用することでしょう。
もし違っている所があるとしたら、それはある時期他の人と同じ道を歩まなかったということでしょうか。

これらのことから、夢中になれるものがあること、好きなことがあることは素晴らしい。
好きなことの向こう側にあるもの、それは「私の喜び、仕合せ」である。
そのように思うのです。

あなたには好きなこと、夢中になれることがありますか。
これだけは譲れないと思えるものがありますか。
それは誰の喜びですか。
あなたの喜び・仕合せですか。

シニフィアン研究所 迎意愛のつぶやきです。
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