2013年3月12日火曜日

329)母子分離=母が言語になるとき

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「母子分離=母が言語になるとき」について書きたいと思います

母はすべての人にとって、最初の愛着の対象だといわれています。
それは、自分という存在をこの世に生み出してくれたその人だからです。
そして、乳幼児の時代は、
誰かに適切な世話をしてもらわないと、片時も生きられない存在だからです。
だからこそ、生み出してくれたその人に常に側に居て欲しい、
自分だけの人であってほしい、
独り占めしたいと切望するのでしょう。

しかし、社会参入することは、
その愛着の対象との別れを受け入れることでもあります。
心身ともに自律するためには、必須のことです。
つまり、子ども時代を終わらせ、大人の世界へと参加することを期待されています。
そのことを『母子分離』と呼びます。
これは、精神的、空間的、金銭的に自律することを指します。
現在、その猶予期間は約20年と言えるでしょう。
身体的に分離してから20年をかけて、精神的に分離することを求められているということです。
精神的に母子分離することを考えたいと思います。
様々な切り口がありますが、
ここでは、母が言語になることだと言いたいと思います。

どういうことかというと、
生身の自らの母が、だれもが自由に使う『母』という言語になることを意味します。
つまり
・思う通りにさせてくれなかった母
・言うことを聞いてくれなかった母
・放任の母
・支配した母
・頑固な母
・わがままな母
・他の兄弟姉妹に獲られた母
・溺愛した母
・いつも不在だった母
などなどの母から
・『ただの母』
・『どこにでもいるボケ老人』
・『ただの人』になることです。

ある人が淡々と言い放ちました。
<私を支配し続けた母でしたが、今ではどこにでも居るボケ老人になりました>と。
そのように語るまで15年近くの時間を必要としたとも語りました。
何の感情も交えず、湧き上がることもなく、
やっと<ただの人になりました>と言えるようになったと語った人もいます。
彼らはそれまで、多くの不平不満を語り続けました。
また、不平不満すら語るまでに相当な時間を要した人もいます。

ただ、共通していることは
長く抱えてきた母への不平不満を語り続けた結果、
『母』という誰でも使うただの言語となったということです。
<母を尊敬している>と語る人もいます。
それでも、そうではない部分を語り始めた時、何かが変わったともいいました。
とまれ、
「母」は誰にとっても一度は必ず意識して語る必要のある存在なのです。
それが、色々な意味において《偉大な存在》と言われるゆえんなのでしょう。


あなたの「母」はあなたにとってどのような人でしょうか?
母を語るとき、どのような感情が伴うでしょうか?
あるいは、何らの感情も湧き上がってこないでしょうか?
母なくしてこの世に生み出されることはなかった。
これはまぎれもない事実です。
だからこそ「母」は母港であり、故郷であり、世界でただ一人の特別な人。

母について語ってみませんか。
自分にとって母とはどのような人なのか知りたくなったら
精神分析は役にたつでしょう。
興味を持たれた方はこちらを参照ください。
「自己を知る」講座もあります。
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/

月刊精神分析2013年2月号『グリム童話・白雪姫』でも取り上げられています。
詳しくはこちらを参照ください。http://agency-inc.com/grimm/

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