2013年2月13日水曜日

325)自責・罪責感―自分を裁くのは自分

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「自責・罪責感―自分を裁くのは自分」について書きたいと思います

自分が嫌になりました。
自分が悪いんです。
私の責任です。
自分さえ我慢すればうまくいく。

このような言葉をどれだけ語ってきたことでしょう。
すべては自分に原因がある。
時にそうかもしれません。
でもすべてではないはずです。
それでも、つい自分を悪者にしてしまう。
いつの間にか自分を責めている。
そして、自分に『ダメだ、これではいけない』と言い聞かせ、
どれほど罪責感に苛まれてきたことでしょう。
時には逆に
自分のせいではない、相手が悪いんだ。
と叫んでみても、やっぱり自分に戻ってくる。
まるでブーメランのように。
とうとう、そんな自分に愛想が尽きて座り込んでしまう。

一体、なぜこのような自責・罪責感に捕らわれてしまったのでしょう。
それは自分の中にある、もう一人の自分。
それらは、かつて親や周りの大人からの言葉だったかもしれない。
しかし、いつの間にか誰かを離れて(脱人格化という)
その言葉だけが自分の心の中に棲みついてしまった。
その言葉が、語りかける。
≪お前が悪い、すべてはお前の責任だ。≫
≪お前さえ我慢すれば、すべてうまくいく。我慢しろ。≫
≪ダメだ、ダメだ。もっと努力せよ≫
このように囁き続ける。

そんな自分の中の声は、すべて捨てましょう。
そして、自分に向かって言いましょう。
≪そうよ、これが私よ。こんな私だからこそ、私なのよ。≫
≪私はわたし、ほかの誰でもない。≫
≪こんな私かもしれないけど、こんな私でいいのよ。≫
まずは、自分の中のもう一人の自分に語りましょう。
まずは、自分で自分を許してあげましょう。

そうしたら
わがままで、自分勝手で、お調子者で、おっちょこちょいで、早とちりで、
目立ちたがりで、自己顕示欲がめちゃめちゃ強い。
だからこそ、ほかの誰でもない私。
こんな自分と和解しようと思う。
こんな自分を許してあげようと思う。
こんな自分だけど、「まあいいや」と微笑んであげよう。
こんな自分から出発しようと思う。

そう思えたら、心が軽くなった。
何だか頬が緩んできた。
笑いが込み上げてきた。
思いっきり笑った。
声あげて、お腹抱えて笑った。
涙が出てきた。
悲しくもないのに、嬉しくもないのに、なぜか涙が溢れてきた。
そして、自分に言った。
【おめでとう!ようこそ私。これからもよろしくね】

誰よりも自分を許さなかったのは自分。
誰よりも自分を裁いたのは自分。
誰よりも自分を責めたのは自分だった。
それに気づいたから、許してあげた。
もういいよ。
これからはお互い楽しもうね。
これからお互い嬉しいことを探そうね。
融けはじめた雪が、太陽に眩しく反射して、
私の心も解け始めた。

あなたは自分を責めていませんか?
自分が我慢すればよいとどこかで思っていませんか?
ふと足が止まった時があったら、一度問いかけてみませんか。
シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/
埼玉県を中心に全国へと発信しています。

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