2012年10月12日金曜日

288)「オールOK」と座禅

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

           
今日は、「オールOKと座禅」 について書きたいと思います。
「オールOK」で子どもや人を育てることは、『座らない坐禅』をしているのと同じではないだろうか。
このようなことを考えてみたいと思います。
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*坐禅(ざぜん)とは、姿勢を正して坐った状態で精神統一を行う、の基本的な修行法。
*日本での坐禅は、宗教宗派とは無関係に精神鍛錬として認識され、などでが監視している中で坐禅を行う形をとる修行体験を、一般の人々向けに行っている。 黙想瞑想するのではなく、自我を極力排除して、自我以外の存在を全感覚で受動的に感じ取る事によって、自我以外の存在に縁取られた自我自体の認識へと立ち戻る、という精神性を持っている。仏教のの境地、日本の神道の精神ともつながりがある。(wikipediaより一部引用 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%90%E7%A6%85

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オールOKの基本は
≪要求が出たら、敏速に的確に行動で応える≫です。
つまり、自分の考えや思いは捨てて(無にする)相手の要求通りに行動することを意味します。
これは、日常生活の中でする『座らない坐禅』だと言えないでしょうか。


・もっと言うことを聞いて欲しい
・勉強してほしい
・良い子になってほしい
・ゲームばかりしないでほしい
・手伝いをしてほしい
・早く手が離れてほしいetc


相手の要求にオールOKで応えることは、
これら自分の思い(自我)をすべて捨てて、相手の言いなりに動くことでもあります。
これは、まさしく上記の『自我を極力排除して、自我以外の存在を全感覚で受動的に感じ取る事』
と同じではないでしょうか。


つまり、オールOKで子どもに向き合うことは
日常生活の中でする『座らない坐禅修行』と同じだと思えるのです。
子どもは、親にとって
『自我以外の存在に縁取られた自我自体の認識へと立ち戻る、という精神性』
に気づくようにと、鍛えてくれている貴重な存在ではないでしょうか。


「オールOK」していると
子どもに与えるばかりで、自分はしんどいだけで、何も与えてもらえない。
との想いを持つかもしれません。
そんな時、
『座らない坐禅をしている』と考えてみたら
ひょっとしたら、また違って感じられるかもしれません。

今回は、このような観点から考えてみました。
いかがでしょうか?


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