2012年9月11日火曜日

272)茨城・コインロッカー乳児遺体事件 

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「茨城・コインロッカー乳児遺体事件 」 について書きたいと思います。

茨城・つくば市でコインロッカーの中から生後まもない赤ちゃんの遺体が発見された事件で、母親が逮捕された。
この事件は9月8日、つくば市のバスターミナルのコインロッカーから、女の子の赤ちゃんの遺体が発見されたもので、10日、死体遺棄の疑いで長峰 美由希容疑者(30)が逮捕された。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20120911-00000267-fnn-soci(フジテレビ系)より引用

この事件を、精神分析的な視点から長峰容疑者の行動を検証してみたいと思います。
*なぜ産んだのか(流産しなかったのか)?
*なぜ死体遺棄したのか?
この二つの疑問を中心に考えたいと思います。
結論からいうと
『母は自分をどのような眼差しで見たのかを知りたい』との欲望に突き動かされた結果ではないかと言いたいのです。

精神分析的観点から、女性が妊娠する意味を考えた時、
二つあると言われています。
1)自分が母からどのような眼差しで見られたのかを知りたいと思った時
2)理想的な子育て(自らがしてもらいたかった子育て)をすることで、してもらえなかった自らを補償(育て直し)しようと思った時

長峰容疑者の場合は、乳児を死体遺棄していることから、1)の場合が考えられます。
自分の妊娠を母が喜んだかどうかだけを知りたかったなら、流産を選択したでしょう。
なぜなら、妊娠が分かった瞬間、
その妊娠を喜べたなら、母も自分の妊娠を喜んだと解るし
困ったと思ったなら、母も自分の妊娠を困ったことだと思ったと実感できる。
それで充分のはずですが、長峰容疑者は産んだ。
ということは、産んでわが子を見たかったと考えられる。
ここから、妊娠そのものではなく、
自分が誕生した時、母はどのような眼差しで自分を見たのだろう?
それを知りたいと思ったのではないでしょうか。

わが子を見た瞬間、湧き上がってくる想い=母が自分を見た時の想いに重なる。
それを長峰容疑者は知りたかった。
そして、それを今や知ってしまった。
だから、もう乳児は長峰容疑者にとってその役目を終えたものとなる。
だから、死体遺棄した。
このように考えたなら、
長峰容疑者のとった行動は理解できるのではないでしょうか?

精神分析的視点では、道徳、倫理、常識という視点から見ず、
なぜそのような言動をとらざるを得なかったのか?との視点から、その人の精神世界をひも解いてゆきます。
道徳、倫理、常識では理解できない事柄が、現実のものとして目前にあるのですから。
それらの視点以外のものでしか解明できないのではないでしょうか。

「なぜ?」「どうして?」との疑問をもったなら
それに対する自分なりの答えを見出さない限り
人は一歩も前に進むことができないもののようです。
それに精神分析は向き合ってゆきます。

興味を持たれた方はシニフィアン研究所までお問い合わせください。
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