2012年9月29日土曜日

283)10月度関西出張スケジュールのお知らせ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「10月度関西出張スケジュールのお知らせ」 す。
台風17号の進路が心配される中、近隣の小学校では運動会が開催されているようです。
皆さんの近くではいかがでしょうか。

さて、10月の関西出張スケジュールのご案内です。今回は、10月3日(水)~7日(月)の5日間の予定です。
☆4日(木)10:00~12:00
<インテグレーター養成講座> 場所:和歌山出張所
 テーマ:『対象喪失』です。詳しくはこちらを参照ください。

☆5日(金)10:00~12:00
<フリートーク>  場所:和歌山出張所
 テーマ:『オールOKを対人関係-その活用法』
 参加費:大人一人1.000円、小学生以下は無料
 当日の飛び入り参加歓迎です。
 お茶菓子を囲んで、語り合いましょう。

☆6日(土)
 和歌山県紀の川市におります。

☆7日(日)
 終日、大阪市難波周辺におります。

10月3日以降の連絡は携帯へお願いします。
連絡先はこちらです。
和歌山出張所の地図はこちらです。

関西の方、この機会に精神分析に触れてみませんか。
お問い合わせ、ご連絡は
シニフィアン研究所の迎意愛(むかい あい)まで。
http://signifiant-lab.com/ を参照ください。

2012年9月27日木曜日

282)虐待、育児放棄をなくすために

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「虐待、育児放棄をなくすために」 について書きたいと思います。
乳幼児の虐待や育児放棄が、かつてないほどメディアで報道されています。
昔も、状況は違えどもあっただろうと推測されます。
それにしても、あまりにも多すぎる印象を持たれているのではないでしょうか。
「虐待や育児放棄するなら、なぜ産んだのか」
といった言葉も聞こえてきます。

≪虐待や育児放棄≫を『甘えと依存』という側面から考えてみたいと思います。
繰り返しになりますが、
すべての人にとって『母』が最初の欲望(愛)の対象であり、
そして、『母』その人自体は禁止される対象でもあります。
それゆえ、その欲望(愛)の対象を母以外の人(もの)に置き換えてゆく。
この「母を求める欲望(愛)」の原初的代表が『甘えと依存』だと書きました。

つまり、
身体的に求めあう男女は、この欲望(愛)の置き換えであり、
互いに『甘えと依存』を再現している姿だと捉えてみます。
すると、
妊娠・出産・育児はその行為の結果であり、
当然、二人が共に「引き受ける覚悟と自覚」が要求されます。
言葉を代えて言うと
育児は『甘えと依存を求めるわが子に与えること』を引き受けることでもあるのです。

ここで、もし、自分が『甘えと依存』の再現だけを求め、
与えることを引き受ける覚悟と自覚を持たないまま
妊娠・出産・育児が現実のものとなったならどうでしょうか。

特に、育児は24時間待ったなしに、ひたすら与え続ける状況が続きます。
この現実は「可愛い」と思える気持ちを掻き消してしまう。
「欲しいのは子どもではなく、この私だ」
「もう嫌だ、逃げたい」
可愛いはずのわが子は、
やっかいなもの
で、自分を邪魔するもの、奪取するもの、排除したいものとなってしまうのではないでしょうか。

このような気持ちの連鎖が止められなくなった時
結果的に
虐待・育児放棄と呼ばれる状況を作り出してしまうと考えられます。

この観点から見た時、
虐待・育児放棄をなくすためには、
『甘えと依存』を求めていることを自覚し、
その気持ちを得る方法が他にもあることを知ることと同時に、
『甘えと依存』をいかに断ち切るか、ではないでしょうか。
これが、養育する側、
ひいては社会に求められることだと思うのです。

シニフィアン研究所ではそれらについての具体的な相談、勉強会をしています。
詳しくは
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/ 
(むかい あい)までお問い合わせください。

2012年9月24日月曜日

281)女性はどうして強くなるのか

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「女性はどうして強くなるのか」 について書きたいと思います。

「女性は年齢と共に強くなる」
「結婚して母になると一段と強くなる」と言われたり、
時には
「おばちゃんは凄い」
「おばちゃんは怖い」
「もう女捨ててる」
などと揶揄されたりもします。

確かに、そのように思われるものを秘めているのかもしれません。
土壇場になると、開き直って、肝が据り、
時には男性顔負けの度胸があったりもします。
どうしてなのでしょう。
どこからそのような強さが出てくるのでしょう。


それは≪ペニスが付いて(持って)ないから≫との観点から考えてみたいと思います。特に幼少期には、視覚的に一番解りやすい性差(肉体的特徴)でしょう。
このことが女性を強くするのではないかと考えたいのです。

「ペニスが付いている、付いていない」
という事実が性差に大きく関わっていると言われています。
(このことの説明は別の機会にしましょう)
男性には付いて(持って)いる=切り取られるかもしれない不安(去勢不安)
女性には付いて(持って)いない=切り取られる不安はなく、逆に欲しいと思う(ペニス羨望)
つまり、
男性は常にこの「去勢不安」が付きまとうので、
それに対する怯えや恐れを抱いていると考えられます。

ところが、女性はどうでしょう。
最初から無いので、切り取られる心配はありません。
これが開き直りや度胸や強さの根源となっているのではないでしょうか。

これは「最後の切り札」とでも言えるかもしれません。
ですから、めったに使いません。
(余談ですが、花嫁の角隠しも関係あるかも?)
追い詰められて、どうにもならないと思った時だけに使うのです。
ちょっと乱暴な言い方ですが、、、
『取れるもんならとってみな』
と開き直れるのです。


このように書くと、女性からは顰蹙を買うでしょうか。
男性はいかがでしょう。

すべての女性とはいいませんが、
女性は元々付いて(持って)いないがゆえに、切り取られる不安は一切なく、
それゆえに、時として強くなれるのではないでしょうか。


ご意見、ご質問は
シニフィアン研究所までhttp://signifiant-lab.com/
男らしさ、女らしさを考える教室もしています。
「オールOK子育て教室」にて質問ください。http://signifiant-lab.com/#10

2012年9月23日日曜日

280)恋愛・結婚(女性の場合)

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「恋愛・結婚(女性の場合)」 について書きたいと思います。
前回は、男性の場合について書きましたので、
今回は、女性の場合を考えてみたいと思います。

異性を欲望(愛)するためには、
まず母が欲望(愛)の対象であるのが前提だと書きました。
これは男性も女性も同じです。
では男性と女性ではどこが違うのでしょうか?

それは母が女性であることによります。
つまり母は、
男性にとっては異性ですが、女性にとっては同性です。
ですから、女性が異性を欲望(愛)するには、
欲望(愛)の対象を母(同性)から父(異性)へと移行しなけらばならないのです。
このことが、男性と女性の一番大きな違いです。
では、欲望(愛)の対象を、母から父へと移行するためにはどうしたらよいか。
それは、何らかの形で母を見切る必要があります。
次に、母ではない、女性の位置から父を欲望(愛)の対象とするのです。
ここからは男性と同じく、父以外の男性へとシフトすると言われています。
ここに至って、初めて、女性は男性を欲望(愛)することになるのです。
このように、女性は男性と比べて、余分な回り道をしないと異性へと向かわないのです。
やっかいですね。

実際には、このような回り道をして男性を欲望(愛)していないように思われます。
なぜなら、
大半の女性は、男性と同じく母を欲望(愛)しているように見受けられます。
例えば
*優しい男性
*甘えさせてくれる男性
*何でも言うことを聞いてくれる男性
*いつも傍に居てくれる男性
*私だけを愛してくれる男性
これらは、本来母に対して求めていることと同じではないでしょうか。
男性を欲望(愛)しているようで、
実は母の代理を求めているのでは?

女性は、男性に母の代理を求めてはいけないのでしょうか。
では、男性に何を求めればいいというのでしょう。
それについては、次の機会にしたいと思います。
ここでは、女性が男性を欲望(愛)の対象とするには
非常に困難がつきまとうとうことを考えてみたかったのです。

難しいと感じられたでしょうか。
こんなこと考えていたら、恋愛なんでできないと思われたことでしょう。
それほど、実は男と女はややこしいものかもしれませんね。
このややこしい「男と女」を一度考えてみませんか。

興味のある方はこちらまでお問い合わせください。
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/
講座もあります。
「やさしい精神分析講座」http://signifiant-lab.com/#11
「インテグレーター養成講座」http://signifiant-lab.com/#13

2012年9月22日土曜日

279)恋愛・結婚ができない

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

           
今日は、「恋愛・結婚ができない」 について書きたいと思います。

前回からの延長で、『恋愛・結婚』について考えてみたいと思います。
恋愛ができない、結婚をしない若者が増えているそうです。
積極的にしない、したいのにできない、興味がないetc
その理由はさまざまでしょう。
ここでは、
≪異性を求める欲望がない=異性と親密な関係を築けない≫から、
ということを考えたいと思います。

男性と女性では違いがありますので、男性について書きたいと思います。


男性が女性を欲望(愛)する根底には、
母を欲望(愛)の対象としていたことが必要だと書きました。
(詳しくは277)男性が女を欲望(愛)するためには何が必要かを参照ください)
つまり、目の前の女性は母の代理だということになります。
母を求める欲望(愛)がそのまま母以外の女性へと移行する。
これが、男性が女性を求める誘因だと言われています。
男性にとって母は最初に接する異性ですが、
母そのものを異性として求めることは禁止されています(近親相姦の禁止)。

母に満たされなかった欲望(愛)を、母以外の女性に満たしてもらいたい、
との欲望をもつのです。
その最大の欲望は『甘えと依存』だとされます。
<多くの女性が言います。「私の前では、大きな子どもだ」と>

それが男性にとっての、憩いの場(=母の腕の中)だからではないでしょうか。
ですから年齢関係なく、豊かな胸、柔らかい肌とその温もりを求めるのでしょう。
かつて自分にとって最初の異性であり、
一番の『安全と安心の場所』だったはずですから。

以上から、
男性が女性に関心を持つ(欲望する)ためには、
母をどれだけ求めているかが問題だと思うのです。
母に関心を向け、母にどれだけ関心を向けてもらえたか、
母からどれだけ、まなざしとスキンシップを与えてもらえたか、
これらが、思春期以降、
女性との親密な関係をもてるかどうかに大きく関わっている
このようにいえるのではないでしょうか?


女性と親密な関係を持つためには
まず母が幼少期から欲望(愛)の対象となり、
相互に親密な関係を築けていることが必須だと考えられます。
そうすれば、思春期に始まる異性への関心と交流がスムーズに持てるでしょう。
そして、異性との恋愛関係を楽しみ、結婚へと向かうことでしょう。


恋愛、結婚に関して興味を持たれている方は
シニフィアン研究所までお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
「恋愛と結婚―仕事と生きがい」のサイトはこちらです。http://signifiant-lab.com/woman/

2012年9月21日金曜日

278)母が欲望(愛)の対象となるために

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「母が欲望(愛)の対象となるために」 について書きたいと思います。
276)男性よもっと女を欲望せよ
277)男性が女を欲望(愛)するためには何が必要か
に続いて、今回は
≪母が子どもの欲望(愛)の対象となるためには、何が必要なのか?≫と問いかけてみます。
それは≪母が子を欲望することである≫と答えたいと思います。

先日、レストランで偶然目にした光景を紹介します。その光景を想像しながら読んでください。
場面1) 父親(20代後半)と3歳くらいの男の子がファミレスに来る。
料理を注文し、二人で食べていたが、男の子はあまり楽しそうではなかった。
そのうち、父親に叱られたのか、他の席に走ってゆき、ふてくされていた。

場面2) 生後5か月くらいの男の子を前抱っこした、母親(20代後半)が来る。父親がファミレスから出てゆく。
母親が、前抱っこしたまま料理を食べている傍で、
男の子は座席に寝そべったり、抱っこしている弟の顔を覗き込んだりしている。
すると、母親はニコニコして、男の子の顔に自分の顔をすりつけ、
交互に二人の息子の頭を撫でていた。
男の子は、弟の頭を同じように撫でたり、寝そべったりしながら
とっても嬉しそうな表情をしてご機嫌で、母親が食べ終わるのを待っている。

いかがでしょう。光景が浮かんだでしょうか。この光景を目の当たりにして、
『子どもは母親が傍にいるだけで、あんなにも幸せな気持ちになれるんだなあ』と痛感しました。
あのふてくされた顔の男の子は、もうどこにも居ませんでした。
終始、これ以上の喜びはない、とでも言いたげな表情と行動でした。
もちろん3歳くらいの子どもですから、
おとなしく、行儀よくしていたわけではありません。
そして、母親も常にその子を見ていたわけでもありません。
ですが、 
一度も母親が、その男の子に注意したり、叱る必要はありませんでした。

何よりも素晴らしいと感じたことは
その母親は、男の子が何か言ったり、したりした時だけ、食べている手を止めて、その子に顔を向け、
ニコニコしながら、対応していたことです。
これこそ、『オールOK子育て法の基本』だと思いました。

母親が子どもに温かい眼差し(ニコニコ顔)を向けている。
そして、その眼差しを全身に浴びて、子どももニコニコ顔になる。
これを『眼差しの交換』と言います。
それが嬉しくて、もっともっと母親の眼差しを欲しいと欲望する子ども。
それに対し、いつもすぐに答える母親。

この二人の関係は、まさしく愛し合う二人の姿そのものではないでしょうか。
恋愛をしている二人が、目と目で見つめ合う。
もうそれだけで、言葉など必要ないと感じる。
あの蜜月期間(ハニームーン)

このようにして、母と子の間の『眼差しの交換』が基礎になって、
思春期以降、大人の異性への恋愛へと繋がってゆくと考えられます。
ここから、人は互いに母子関係を再現するような相手を求めるとも言えると思うのです。
ゆえに、
母が欲望(愛)の対象となった男性が、女を欲望することができるのではないでしょうか。

シニフィアン研究所のHPhttp://signifiant-lab.com/を参照ください。
「オールOK子育て法」http://signifiant-lab.com/raise/
「恋愛と結婚―仕事と生きがい」http://signifiant-lab.com/woman/もご覧ください。

2012年9月19日水曜日

277)男性が女を欲望(愛)するためには何が必要か

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

           
今日は、「男性が女を欲望(愛)するためには何が必要か」 について書きたいと思います。

前回「男性よもっと女を欲望せよ」と書きました。
今回は、男性が女を欲望するためには、何が必要かを考えたいと思います。
それは『男性が母を欲望(愛)することからである』。


まず、誤解のないように
1)『男性が女を欲望するとは、どういう意味か』について書き、
2)そのためには『母が欲望(愛)の対象であること』だと言いたいと思います。

1)男性が女を欲望するとはどういう意味か
 それは、自分の理想の女性像(イメージ)を持つことです。
具体的に、言葉で語れることを意味します。
「笑顔が素敵な女性」
「料理が上手な女性」
「甘えさせてくれる女性」
「知性的な女性」など、言葉で語れれば何でもいいのです。

ただ、一つ注意してほしい事があります。
それは、決して他の誰かと比べないこと、です。
中でも、「俺の母親(おふくろ)」は禁句です。
でないと、
『私はあなたの母じゃない』と、しっぺ返しがすぐさま飛んできますから。

俺の理想の女性像は〇〇な女性なんだ。それをお前に求めているんだよ。
お前がそのような女性なら、俺はどんなに嬉しく、幸せに感じることだろう。
そんなお前のためなら、どんな艱難辛苦も厭わないだろう。


このような想いを、自分の言葉に置き換えて、語ってみてはいかがでしょう。
ちょっと照れくさいですかねえ。
(欲望する=肉体的に女性を求めることではありませんので、念のために書き添えておきます)

2)母が欲望(愛)の対象であること
 これは、当然のことのように思われますが、
子どもが母を欲望(愛)の対象とするためには、その前提として、まず母が子を欲望(愛)することが必須です。
これについては、改めて書きたいと思います。


 
子どもが出会う最初の対象は、通常「母」です。
そこから、わが母が最初の欲望(愛)の対象となります。
その母にたっぷり甘え、欲望(愛)を向け、母からの欲望(愛)を求めたからこそ
後に、その欲望の矛先を母から他の女性へと向け変えることができると言われます。
ここから、
女を欲望するためには、母を欲望(愛)の対象としていることが必要となるのです。

男性の皆さん、
母が最初の欲望(愛)の対象であると、認識していますか?
その母の代理を、目の前の女性に求めているのだと気付いていますか?
このようなことに気付くための講座や教室もあります。
関心を持たれた方は、シニフィアン研究所までお問い合わせください。
http://signifiant-lab.com/
夫婦教室などはこちらです。http://signifiant-lab.com/#10
恋愛と結婚―仕事と生きがいのサイトもあります。http://signifiant-lab.com/woman/

2012年9月18日火曜日

276)男性よもっと女を欲望せよ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

           
今日は、「男性よもっと女を欲望せよ!」 について書きたいと思います。

女性の立場から、世の男性たちへこのように叫びたいのです。
なぜなら女性は困り果て、今や怒りを露わにしているからです。
『男がしっかりしないから、女の私がやるしかない』
『もう我慢の限界』
『もう男になんか任せておけない、引っ込んでなさい』
このように叫んでいる女性たちの声が聞こえてくる気がします。


本来、女は男性から求められて女性となり、
男性の力強さ、逞しさに敬意を表し、委任するのです。
それが今や、
役立たずだと叫んでいるように感じます。


これはどこからやってくるのでしょう。
女性は内奥に太陽やマグマのように、燃えたぎるものを秘めている。
そして、それは
自らコントロールすることができないくらい激しいものです。
女性のそれに一度でも触れたことがあれば、理解できるでしょう。
女性は女神にも夜叉にもなれるのです。

それらは女性の素晴らしい一面でもあり、
育て、保護し、時には命に代えてでも守るエネルギーともなるものです。
ただ、残念なことに
≪コントロールするためのスイッチ≫が付いていないのです。
ですから、一度何らかのキッカケで暴走すると、
だれにも止められないのです。
まるで電源を失った原子炉のように。


この女性のエネルギーを活用するためには
制御のためのスイッチが必須です。
そのスイッチが男性なのです。


先人は、この女性のエネルギーを知っていたのではないでしょうか。
ですから、家という中に閉じ込め、掟や慣習で制御していた。
そんな風に考えてみると納得できる気がします。
ところが、今はそれらが解除され、
女性が家の外に自由に解き放たれた。
そのことの是非はともかく
果たして制御スイッチが社会にあるのかどうかが危惧されます。


男性が制御スイッチとなるためには何が必要か?
それは理想の女性像をしっかりと持つこと、
そして、それを女性に求め続けること(言語で語ること)です。
まずは、そこからだと思うのです。
『さわらぬ神にたたりなし』
『うるさいから好きにさせておく』
『妻中心の方が家庭がうまくいく』
ではダメです。

男性よもっと理想の女性像を持ち、それを女性に欲望して欲しい。
女性もそんな男性(白馬の王子様)をずーっと待ち続けているのですから。
そのために
男性も女性も共に学び合いましょう。
男とは、女とは何であるかを。

興味を持たれた方は
シニフィアン研究所HPをご覧ください。http://signifiant-lab.com/

2012年9月16日日曜日

275)万が一は実現することを目指している

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「万が一は実現することを目指している」 について書きたいと思います。

ここでは、
『万が一は実現することを目指している』
ということを、保険を例に、精神分析の観点から書いてみたいと思います。
(*保険加入の必要性の有無や、保険の是非について述べているのではありません)

大抵の人は『万が一の時の安心のために』と考えて(勧められて)保険に加入することでしょう。

ある人との雑談の中で、保険に話が及んだ時のことです。
万が一の時のために、ある保険に加入していたそうですが、
そのおかげで保険金が下りて助かったとのこと。
(ここまでは、ありふれた話でしょう)
その次に、その人が言いました。
≪実は私、〇〇(病名)保険に加入しているんだけど、かなり以前から掛けているから絶対元を取らなきゃ損だわ。≫


それを聞いて、びっくりしました。
この人はもうすでに自分の病気を決めていると思ったからです。
そして、その人に聞きました。
「それって、もう将来の自分の病気を今から決めてるってこと?」
「そりゃそうよ、あれだけ掛けてるんだから、病気になるなら保険金がもらえる病気にならないと意味がないじゃない」

もちろん、先のことは誰にも解りません。
健康に関することをテーマにすることは、慎重であるべきことだと思います。ですが、この人の語らいを聞いている限り、
「その人の気持ちは、その病気に向かっている」
つまり
『万が一は実現することを目指している』と考えられるのではないでしょうか。

このように、
「意識しないところで、意図しない方向へ向かっている可能性があるもかもしれない。」
ということを書きたかったのです。
何気ない一言の中に、自分でも気づかないものが隠れている。
精神分析は、それらを明らかにする一つの方法だと思います。

シニフィアン研究所では、
精神分析を通して、自ら気付くための面談や講座などを用意しています。
興味を持たれた方は
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/をご覧ください。

私と精神分析http://agency-inc.com/analysis6/も参照ください。

2012年9月15日土曜日

274)自己を知る方法

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「自分を知る方法」 について書きたいと思います。
「自分とは」
「生きる意味とは」
「何をしたいのか」
「なぜ」
これらの問いかけを持った時
『精神分析』はおあつらえ向きだと思います。

求めるものは、もうすでに手にしている。
あるいは、自らのうちにある。
そのように言われます。
きっとそうなのでしょう。

では、それらを知るにはどうしたらよいのでしょう。
自分(のうちにあるもの)を知る方法とは?

人は自らの顔を知りたいときは、「鏡」に自らを映して見ることでしょう。
自らの心、考え、志向を知りたいときは
誰か(心を映す鏡)に語ることで知る方法があります。

自分の心のままに、口をついて出るがままに任せることで知ることでしょう。
フロイトは「自由連想」と言いました。
「自分はこのように思っていると思っていること」と、
それを「言葉にして語ったこと」が違う場合があります。
そんな時、人は
『こんなこと言うつもりじゃなかったのに』
『私、何言ってるんだろう』
『えーっと、忘れちゃった』
『あ・・・』と、思わず言葉を呑み込んでしまう。
突然、涙が流れてくる。
怒りが込み上げてくる。
このようにして、思ってもみなかった自分に出会う瞬間があります。

その時が、もう一人の自分に出会える瞬間ではないでしょうか?
それらは「無意識」と呼ばれるものです。
地下水のように流れ続け、通常は知ることはできないとされています。
そして、人はそれに翻弄されているとも言われます。
自分を知りたいと思うことは、
この得体のしれない無意識と呼ばれるもう一人の自分に向かい合うことだと言えるでしょう。
これを「無意識を意識化する」と言います。

意識化することで、それをコントロールすることができます。
無意識を自在に書き換えることができるのです。
操られている状態から、操る状態へ、
つまり、受身から能動へ
もっと言うと、
自分の人生を思うとおりに実現できるのです。

無意識はどれほどのものかは解りません。
でも、一つ知れば、また一つ知りたくなる。
まるで、解けなかった問題が解けた時のように、
長年の謎が解けた時のように、
永遠に尽きることのない喜びだと思うのです。

このように「自分を知ること」は例えようもない喜びだと思うのです。
そして、精神分析はその道標なのです。
自分を知ることの喜びに触れてみませんか。
自分という謎解きをしてみませんか。

シニフィアン研究所のHPはhttp://signifiant-lab.com/
交通費を負担していただければ出張もしています。
各種教室、養成講座もあります。
http://signifiant-lab.com/#10 http://signifiant-lab.com/#11
お問い合わせください。

2012年9月12日水曜日

273)孫は可愛いのはなぜか―自己の連続性

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

           
今日は、「孫は可愛いのはなぜか―自己の連続性」 について書きたいと思います。

「わが子も可愛いが、孫の可愛さはまた格別だ」
との声をよく耳にするけれど、なぜなのかと考えてみました。
かつて「孫」という歌が一世を風靡したようです。
それは、記憶のない自分の空白の時間を埋めてくれるものだから、ではないでしょうか。

私たちは、自らの記憶をたどってゆくと、
3歳以前の記憶はよほどのことがない限り、途中で途切れてしまう。
ましてや、誕生から1歳2歳などはほぼ思い出せないでしょう。
親や周りの人の語らいやビデオや写真などの記憶媒体に頼るしかない。
それらを見ても、実感として感じられないかもしれません。

そんな時、目の前に「孫」と世話する母親を見る機会が現れるとします。
一歩離れた場所から、それらを観察する機会を持つことになるのです。
その光景が、「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ばれる人の心にどのように映るでしょうか?
それらを想像してみたいと思います。


自分では生命さえも維持することは不可能に近い、寄る辺なき存在。
そして、その存在をかいがいしく世話する母親=わが娘(嫁)
そんな光景を目の当たりにし、
『自分も、わが母からあのような眼差しで、世話をしてもらったに違いない』
『自分も、あのようにぐずったり、笑ったりしていたに違いない』
『あのように誰かの世話を受けなければ、片時も生きてゆけなかった自分であった』etc
そこに自分自身の姿を重ねてみることでしょう。

孫のように世話してもらったかもしれない、
孫のようには世話してもらえなかったかもしれない。
いずれにしても、そこには
寄る辺なき存在の自分、世話を必須としていた自分が居る。

その時代が間違いなく自分にもあった、だから今の自分が存在していることだけは、間違いがない。
連続していることは疑いようがない事実としてある。
信じたい、間違いがない事実として受け入れたい。
だけど、自分の記憶は途切れてしまっている。
このようなジレンマとも呼べるものが根底にあるのではないでしょうか。
それがバネになって
今自分の目の前に居る血の繋がった「孫」を観ている。
その「孫」こそが、記憶にない自分の歴史を埋め、繋いでくれる。
このような視線が潜んでいるように思うのです。
だからこそ、わが子とは違った可愛さがひしひしと込み上げてくるのではないでしょうか。

誰もが、信じていることでしょう。
「自分は間違いなく連続した時間の中に生きている。」と。
ひょっとしたら、不連続な時を生きているかもしれない不安を感じているのかもしれません。
それを問いかけないように必死になっているのかもしれません。


逆に、「孫」が可愛いと思えるのは
この不安があるからなのかもしれません。

この不安が人を
「生きるとはなにか」
「何のために生きているのか」
との問いに導くのかもしれません。

「孫」は可愛いと言われることから
このようなことを考えてみました。


興味を持たれた方はシニフィアン研究所のHPをご覧ください。http://signifiant-lab.com/
思春期には特にこのような問いかけをするようです。
思春期の悩みも参照ください。http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/

2012年9月11日火曜日

272)茨城・コインロッカー乳児遺体事件 

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「茨城・コインロッカー乳児遺体事件 」 について書きたいと思います。

茨城・つくば市でコインロッカーの中から生後まもない赤ちゃんの遺体が発見された事件で、母親が逮捕された。
この事件は9月8日、つくば市のバスターミナルのコインロッカーから、女の子の赤ちゃんの遺体が発見されたもので、10日、死体遺棄の疑いで長峰 美由希容疑者(30)が逮捕された。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20120911-00000267-fnn-soci(フジテレビ系)より引用

この事件を、精神分析的な視点から長峰容疑者の行動を検証してみたいと思います。
*なぜ産んだのか(流産しなかったのか)?
*なぜ死体遺棄したのか?
この二つの疑問を中心に考えたいと思います。
結論からいうと
『母は自分をどのような眼差しで見たのかを知りたい』との欲望に突き動かされた結果ではないかと言いたいのです。

精神分析的観点から、女性が妊娠する意味を考えた時、
二つあると言われています。
1)自分が母からどのような眼差しで見られたのかを知りたいと思った時
2)理想的な子育て(自らがしてもらいたかった子育て)をすることで、してもらえなかった自らを補償(育て直し)しようと思った時

長峰容疑者の場合は、乳児を死体遺棄していることから、1)の場合が考えられます。
自分の妊娠を母が喜んだかどうかだけを知りたかったなら、流産を選択したでしょう。
なぜなら、妊娠が分かった瞬間、
その妊娠を喜べたなら、母も自分の妊娠を喜んだと解るし
困ったと思ったなら、母も自分の妊娠を困ったことだと思ったと実感できる。
それで充分のはずですが、長峰容疑者は産んだ。
ということは、産んでわが子を見たかったと考えられる。
ここから、妊娠そのものではなく、
自分が誕生した時、母はどのような眼差しで自分を見たのだろう?
それを知りたいと思ったのではないでしょうか。

わが子を見た瞬間、湧き上がってくる想い=母が自分を見た時の想いに重なる。
それを長峰容疑者は知りたかった。
そして、それを今や知ってしまった。
だから、もう乳児は長峰容疑者にとってその役目を終えたものとなる。
だから、死体遺棄した。
このように考えたなら、
長峰容疑者のとった行動は理解できるのではないでしょうか?

精神分析的視点では、道徳、倫理、常識という視点から見ず、
なぜそのような言動をとらざるを得なかったのか?との視点から、その人の精神世界をひも解いてゆきます。
道徳、倫理、常識では理解できない事柄が、現実のものとして目前にあるのですから。
それらの視点以外のものでしか解明できないのではないでしょうか。

「なぜ?」「どうして?」との疑問をもったなら
それに対する自分なりの答えを見出さない限り
人は一歩も前に進むことができないもののようです。
それに精神分析は向き合ってゆきます。

興味を持たれた方はシニフィアン研究所までお問い合わせください。
HPはこちらです。http://signifiant-lab.com/
精神分析の理論を学ぶ講座も用意しています。
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2012年9月10日月曜日

271)剥奪と服従と軟禁―怨念と復讐

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「剥奪と服従と軟禁―怨念と復讐」 について書きたいと思います。
重いタイトルを付けてしまいました。
それは、
日々のクライアントとの面談を通し、その叫びの根底に程度の差こそあれ、これらの環境が見えてくるからです。
そこで、今
≪子どもに「怨念と復讐」を抱かせる環境になっていないだろうか?≫と問いかけてみたいと思います。。

「躾け」という名のもとに、あるいは「子どもの将来のため」の名のもとに
それとは気付かぬうちにしがちなこと。
1.選択の強制と制限=選択の剥奪
2.親の言うことを聞く=服従
3.行動範囲の限定=監禁または軟禁
が、考えられます。

これらの延長の先には
「怨念」と「復讐」が見え隠れしている気がするのです。
そして、
いつか必ず仕返しをしてやりたいとの情念が蓄積されている。
それが外に向かえば、いじめ、虐待、暴力、非行へ、
内に向かえば、引きこもり、うつ、自傷、自殺へと志向する可能性が考えられます。

私のエピソードを紹介しましょう。(興味のない方は飛ばしてください)
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・エピソード1―幼稚園に行きたくないと言った時(6歳くらい)
 母は怒りながら、髪の毛を持って引きずり回した。私は片道4キロの道を泣きながら歩いて幼稚園へ行った。
 (後に母曰く、「ここで一度許すと何度も休むようになると思った」。以後、私は大学に入るまで休むことはなかった)

・エピソード2―テレビ
 小学校低学年に、テレビを初めて買ったが、勉強しなくなるからと、ヒューズを抜かれてしまって見せてもらえなかった。
 (当時、昭和30年代に各家庭にブラウン管テレビが普及し、ヒューズが付いていた)

・エピソード3―習い事
 小学校低学年時代から、母が私のお習字に熱心になり、毎月の雑誌への投稿、競書会、展覧会はもちろんのこと、
 毎日、母が「良し」と言うまで寝させてもらえなかった。(締め切り前は夜中の2時3時)

・エピソード4―髪の毛
 髪が長くなると、三つ編みやリボンなどに興味が湧いて、勉強しなくなるとの考えから、
 肩まで伸びる前に、母がハサミで常に私の髪の毛をカットしていた。

・エピソード5―洋服
 ヒラヒラの可愛い洋服やピンクや赤色は着せてもらえなかった。
 母の手作りで白と緑色の洋服が多かった。

・エピソード6―クラブ禁止
 中学1年生―人数が足りないからと陸上部に駆り出されたが、帰宅が遅くなるからと辞めさされた。
 中学2年生―担任が軟式テニス部を作ったので、内緒で入部した。が、1週間後にバレる。
 疲れて勉強ができなくなるからと、母が勝手に担任に退部を申し入れ、1週間で退部となり、素振りだけで私のテニスは終わった。
 中学3年生―クラブはあきらめた(この頃から、自殺を考えていた)

・エピソード7―大学進学
 理学部数学科に進学したくて高校も理数科を選択した。
 にも関わらず母は、書道を選択した方が将来の見通しは明るいと、書道の恩師を巻き込み説得する。
この頃には、私は抵抗をあきらめ、完全に母に服従していた。
なぜなら、抵抗することに疲れていたし、金銭的な支援を断ち切られることへの恐れもあったからだと思う。

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すべてに共通する言葉は
「お前の将来のためを思って言ってるんだよ。」でした。
口癖は
「人に負けるな、いつも一番であれ」
「人以上になろうと思えば、人以上の努力をしなさい。人と同じことをしていては人並みにしかなれない。」

これは特別な例でしょうか。
現在の子どもたちも、
塾、習い事、スポーツ、進学などあまり違いはないのではないでしょうか?
親が思い描く理想像を、子どもに押し付けていないでしょうか=それは親の理想像です。
自分が満たしてもらえなかった事を、子どもに与えようとしていませんか=それはあなたの欲望です。
子どもに幸せになってもらいたい=それは、あなたが幸せになりたいのではありませんか。
果たして、子どもさんがそれを欲望しているでしょうか?
子どもさんに聞いてみたことはありますか?

親は親であり、子どもは子どもであって親ではありません。
私は私以外の何者でもなく、子どもは私ではありません。
私以外は他者であって、私の思う通りにはならないものなのです。
女性は母になった時から、そのことを忘れてしまうのかもしれませんね。
母はいつか、子どもに舐められ、踏み台にされ、見捨てられる存在なのでしょう。
だからこそ、その根底には回帰する心の故郷としての価値を持つとも言えるのかもしれません。


テーマからずれました。子どものために』という言葉の裏側に「剥奪と服従と軟禁」が潜み、
それが子どもの心に「怨念と復讐」を植え付けている可能性があるかもしれないことを
考えてみたかったのです。


シニフィアン研究所では、PTSDの可能性がある方が増えてきました。
震災などとは違って、一見ありふれたように見える中に、
苦悩の原因が隠れています。
それは精神分析(セラピー)という語らいの場で初めて明らかにされるものが大半です。
もしやと感じられたなら、語ってみませんか?


シニフィアン研究所のHPを参照くださいhttp://signifiant-lab.com/PTSD(トラウマ)のサイトhttp://signifiant-lab.com/trauma/
私と精神分析のサイトhttp://agency-inc.com/analysis6/
不登校の子どものの母よりhttp://signifiant-lab.com/escape/

2012年9月8日土曜日

270)画家ジミー大西=オールOKで育てる

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「画家 ジミー大西=オールOKで育てる」 について書きたいと思います。
ジミー大西についての詳細はウィキペディア参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%9F%E3%83%BC%E5%A4%A7%E8%A5%BF

先日、テレビで「ジミー大西」を紹介する番組を偶然見ました。(二人の女性との対談・体験形式の番組)
その番組を見て『オールOKで育てることの大切さ』を再認識しましたので、記憶を頼りに紹介したいと思います。
ジミー大西(以下、彼と呼ぶ)が自ら語ったエピソードから、心に留まったいくつかをならべてみます。

1)小学校時代の写生の時のエピソード
  他の児童は写実的な絵を描いていたが、彼は雲を見た時『僕には、ぞうさんに見えたんです』そうです。
  担任の先生は「大西君はそれでいいのよ」と彼にヘッドフォンをつけてくれたとのこと。
  それのせいか、今でも彼は絵を描くときには、『ヘッドフォンをつけないと描けないんです』と語っていました。

2)デッサンはできない
 大半の画家はデッサンや遠近法などの技法を習得しているが、『僕はそれがまったくできないんです』。

3)作品のタイトルは、奥さんが付ける
 
収録中に書いた海辺での作品に対して、アナウンサー(だったと記憶している)が
「大西さん、この絵のタイトルはなんですか?」に対して
『いや、奥さんに聞いてみないとわかりません』と返答。
4)寂しさを埋めてもらいたかった―マネージャーだった奥さんとの結婚の経緯
 ピカソに会いにスペインへ行ったとき、日本を離れて一人で寂しかった、その寂しさを埋めてほしいと思って、
マネージャーだった奥さんを、隣の部屋に泊まるように誘い、『男として責任をとります』と宣言したとのこと。

5)よく立ち寄るお店で
 焼き飯とパスタを同時に食べる彼に「一緒に食べるんですね」と質問、それに対し
 『口の中で両方を一緒にしたいんです』と答えた。

6)明石家さんまが語る運転手時代
 さんまは混雑した道が嫌いとのことで、それを知っている彼は、
 ある日、空いている道を選んで走っていたら、さんまの自宅に戻っていた。
「さんまさんは、そんなジミーさんを怒ったことはなかったんですか?」の質問に
「いやあ、怒らなかったですねえ」とさんまが答えていた。

数々のエピソードの中から、印象深いものをいくつか挙げてみました。
どのような感想を持たれたでしょうか。
もし、彼がわが子なら・・・と考えてみたら
果たして、「あなたはあなたのままでいいのよ」と認め、受け入れられるでしょうか?
私は、きっと無理だと思います。
それはなぜなのでしょう。
なぜ周りの人と違っていたら、認めることも、受け入れることもできないのでしょう。
その根底にあるのは、≪不安≫ではないでしょうか。

その不安は孤立を招き、自分の存在を危うくすると感じてしまう心から発している気がします。
何らかの集団に帰属している=一人(自分だけ)ではない=存在を認めてもらえている=存在していて良い=安心
このような連鎖があるのではないでしょうか。
可愛いわが子が、集団になじみ、孤立しないようにしてやりたい。
それが、わが子の安心であり、親の安心でもある。
だからこそ、人と違っていることを恐れ、枠組みからはみ出ないように躾けようとする。
この親の想いが、子どもの自由に伸びようとする芽を摘むことにもなりかねないのでしょう。

これらの視点から、彼(ジミー大西)のエピソードを振り返ったとき、
周りの人が、彼の自由に伸びようとする芽を摘むことなく、伸ばしたと考えられるのです。
「大西君はそれでいいのよ」とヘッドフォンをつけてくれた先生。
「怒らなかったですねえ」と言った明石家さんま。
きっと彼を取り巻く多くの人たちが、彼の「人とは違うこと」を決して否定せず、
指導せず、去勢せず、あるがままの彼を受け入れた。
その環境が、『天才画家 ジミー大西』を育てたのだと思います。

人と違っていることが、必ずしも天才や偉人を育てるとは限らないことも事実でしょう。
それでも、あるがままを否定せず、指導せず、去勢しないことが
人を育て、誰にも似ていない個性的な人を育てることも事実だと思うのです。
親が思い描く子どもの理想像は、決して親の枠を超え出ることはないでしょう。
ある時期までは、親が子どもに対して理想像を抱くことは必須だと言われます。
しかし、子どもがその親の描く枠が窮屈で、狭いと感じた時
反抗や抵抗をして、打ち破ろうとしているのではないでしょうか。
その時が、親の描く世界を脱し、より大きな世界へと飛び立とうとしている時だと思うのです。
それを自覚し、勇気をもってその枠を手放す親でありたいものです。

その代表的な方法が『オールOK』子(心)育て法なのです。
心を育てるのに、年齢は一切関係ありません。
『オールOK』で育てていなかったと気付いた時から、育て直しをしましょう。
気付いたその時がスタートの時です。
時期に、早い遅いはありません。

シニフィアン研究所では、
幼少期から大人まで、年齢関係なく
『オールOKの仕方』の教室を随時開催しています。
詳しくはHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/
オールOK子育て法http://signifiant-lab.com/raise/
オールOK実践紹介例
「不登校の子どもの母より」http://signifiant-lab.com/escape/
「思春期に悩み」http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/

2012年9月3日月曜日

269)秋葉原無差別殺傷事件3加藤智大(月刊精神分析)

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

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*明日(4日)から関西方面へ出張です。近隣の方はご連絡ください。
連絡は携帯へお願いします。(signifiant-eros@ezweb.ne.jp 090-1951-1978)
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今日は、「秋葉原無差別殺傷事件3(月刊精神分析)」の紹介と、分析家として感じていることについて書きます。
(詳しくはこちらhttp://agency-inc.com/akihabara3/
この事件は、まだ記憶のどこかに衝撃的な事件の一つとして、残っていることと思います。
ここでは、
加藤智大(以下「彼」と呼ぶ)の養育環境が特別ではない」ということを書きたいと思います。
「彼」の母の養育を『月刊精神分析「秋葉原無差別殺傷事件2,3」』から一部引用してみましょう。

1、男女交際禁止。中1、中2の時彼女ができるが母親から交際をやめるよう迫られる。交際を続けるなら転校させる。彼女から来た手紙を冷蔵庫の上に掲示される。脅迫と見せしめである。交際反対の理由は異性に関心を持つと勉強の妨げになるから。
2、友人を家に連れてくる事を禁止される。
3、門限あり。
4、クラブ活動の禁止。中学校時代、母親から部活動は反対されるも、友人に無理やり軟式テニス部へ入部させられ秋の新人戦で好成績をおさめた。新聞に名前が掲載されると母親は手のひらを返すように応援をはじめた。
5、視聴が許されたテレビ番組は「アニメ日本昔話」と「ドラえもん」
その他
作文指導の「10秒ルール」、ローカの新聞紙の上へぶちまけた食事を食べさせられたエピソードetc
これだけ読めば、かなり極端な養育環境であり、虐待だとさえ思うことでしょう。
ところが、今や日本の大半の家庭で、同じようなことが行われていると言ったらどうでしょうか。
《我が家は絶対違うと》言えるでしょうか。

私なりに読み替えてみたいと思います。
「彼」の養育環境を精神分析の観点からいうと
『主体性の剥奪』です。
ちょっと難しい表現ですが、
「彼」の「~したい」という欲望をすべて奪われ、母の言いなりになるしかなかった状況(環境)を指します。
もっというと
子どもの気持ちを無視し、親の言いなりにコントロールすること、です。

このように書くと、どうでしょうか?
子どもに自分の想いを押し付けていませんか。
・ゲームや遊びやおやつ、食事、服装、時間の制限をする
・塾や習い事を勧める
・早くしなさいと急き立てる(早く食べなさい、塾や習い事へ行きなさい)
・友達を選ぶ(あの子と遊んではダメ)etc

このように言うと、大抵のお母さんは
黙っていたら、際限なくゲームをしたり、自分の好きなことだけしかしない。
そうすると食事もまともにせず、宿題もせず、お風呂にも入らず眠ってしまう。
私は子どものためを思って言ってるんです。
このように反論されます。

「彼」の母親と、どれだけ違っているでしょうか?
このような環境の中で育った子どもは、将来どうなっていくかは想像できるでしょう。
誰かに指示されないと意見を言えない、動けない=指示待ち、受身の人
果ては、いじめられたり、人が怖くなる=対人恐怖、視線恐怖、広場恐怖など
人が怖くなると、人に合わないようにする=引きこもる
押し殺していた怒りが爆発=家庭内秒力、リストカット、虐待、非行、殺人「彼」(加藤智大)

こうして「彼」(加藤智大)へと繋がる道筋が予測できるのです。
だからといって、すべての人が彼のようになる言っているのではありません。
ただ、
《子どものために》との想いが、
気が付かないうちに、彼と同じような環境の中にわが子を追い込んでいる可能性がある、
のではないだろうかと問いかけてもらいたいのです。
そして、あなた自身はどうだっただろうか、と問いかけてもらいたいのです。
もし、私も同じだったと、思い当たる人が居たなら、その人は
かなり高い確率で、誰かに(ほとんどが我が子)同じ想いをさせていると言えるでしょう。

それらに気が付いたなら
今からそれを書き換える方法があります。
それが「オールOK子育て法」です。
シニフィアン研究所では「オールOK子育て法」を全国へと展開中です。
子どもの年齢に関係はありません。
詳しくはこちらまでお問い合わせください。
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/
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女性の方はこちらもどうぞhttp://signifiant-lab.com/woman/

2012年9月1日土曜日

268)今月(9月)の関西出張のお知らせ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「9月関西出張とフリートークのテーマ」 についてのお知らせです。
今日から9月がスタートしました。
子どもたちの夏休みも終わりですね。

さて、9月の関西出張と、各種予定のご案内です。

・9月4日(火)~6日(木)まで、和歌山市、大阪市近辺におります。

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☆インテグレーター養成講座  (5日 10:00~12:00 & 19:00~21:00
 初めての方も参加OKです。
 テキストは『鏡像段階』
☆フリートーク
 6日 10:00~12:00
  テーマ『オールOKの大切さと、対話(聴く姿勢)』
  飛び入り参加OK、お茶菓子を囲んで語り合いましょう。
  参加費:一人1.000円(小学生以下無料)
☆面談(セラピー)
 少し空きの時間がありますので、当日でも予約いただけます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
詳しくは、直接お問い合わせください。
連絡先 090-1951-1978  sgnifiant-eros@ezweb.ne.jp までお願いします。

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