2012年8月23日木曜日

264)子どもに納得できる選択を与えよう

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「子どもに納得できる選択を与えよう」 について書きたいと思います。
「選択」という言葉にどのようなイメージを持たれているでしょうか。辞書には
「選ぶこと。適当なものをえらびだすこと。良いものをとり、悪いものを捨てること。」
とありますが、
納得のできる選択がどれほどできているでしょうか。
そのためには、選択する前提として、
二つ以上の選べるものが、等価なものとしてあることが必要だと思うのです。

何を言いたいかというと選ぶ人の心のままに(自由に)選べることが大切だということです。
母子関係で考えてみましょう。
以前、こんな光景に出くわしたことがあります。

小学生の子どもがお母さんに言っています。
どうやら子どもは習い事へ行きたくないようです。
そこでの母子のやり取りです。

子ども「今日は行きたくない、休みたい」
母  「じゃあ、この間欲しいと言ってたの買わないよ、それでもいいの?」
子ども「それは嫌だ、買って欲しい」
母  「だったら、ちゃんと言うこと聞かないとだめでしょ」
子ども「そんなの嫌だあ、でも行きたくない」
母  「じゃあ好きにしなさい、自分でよく考えなさい」
     (しばらくの沈黙)
子ども「じゃあ 行く・・・」

どうでしょうか。
「行く」と「行かない」の選択肢の間で、子どもは確かに「行く」を選択しました。
果たして子どもは納得して、行くことを選択したと言えるでしょうか。
「行く」と「行かない」が
子どもにとって、等価なものとして目の前にあったでしょうか。
「行く」=欲しいものを買ってもらえる
「行かない」=欲しいものを買ってもらえない
という、別の選択へと置き換えられ、そこでの選択を迫られている、と言えないでしょうか。
そうすると、
「行く」か「行かないか」の選択をしているようで、
まったく別の選択
「買ってもらえる」か「買ってもらえない」にすり替えられてしまっている。
それも子どもにとって、圧倒的に優劣がついてしまう選択しかありません。
これは果たして(納得できる)「選択」と言えるでしょうか。

このように、私たち親の思いのままに
子どもの選択権を他のものにすり替えてしまっている。
あるいは、
親の思いに沿うように、子どもをコントロールしてしまってる。
このように考えられるのではないでしょうか。

ですから、
子どもは自分の意志で選択したようで、納得できない、
喜んで自分の選択を受け入れられないのではないでしょうか。
その上に、まだオマケがつく場合があります。
「自分で決めたことでしょう、お母さんは行けとは言ってないよ」と。

これはたぶん、特別な親子ではないと思います。
意識する、しないに関わらず、大半の親がしていることでは?
このような環境の中で、子どもは育っていくのです。
そんな子どもに納得のできる、自由な選択は無い、といえるでしょう。
それを、もう一度リセットし、納得のできる選択ができる体験が必要です。
なぜなら、だれれかにコントロールされた「選択」は
必ず、後にストレスとなり、あるキッカケによって噴出する可能性が高いからです。
それが、たとえば青少年の非行や問題行動だと思います。
不登校や引きこもり、暴力、いじめ、虐待、殺人などではないでしょうか。

リセットする方法が「オールOK」子育て法(心育て直し法)です。
詳しくは精神分析的子育て法「オールOK」を参照ください。http://signifiant-lab.com/raise/
お問い合わせはこちら(シニフィアン研究所)です。http://signifiant-lab.com/

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