2012年7月26日木曜日

249)自殺を考える時―大津中学生いじめ、自殺に思う

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「自殺を考える時」について書きたいと思います

大津中学生のいじめと自殺問題が、連日取り上げられ、
一部の掲示板では炎上と呼ばれる状況にまでなっているとのことです。
他にもいじめや自殺のニュースが毎日のように報道されています。
●「大津いじめ 26日から生徒聴取 滋賀県警、いじめ実態解明目指す」
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120726-00000507-san-soci
●「中3男子にいじめ、鼻の骨折る…同級生3人逮捕」
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120725-00000943-yom-soci
●「中2男子を殴る蹴る、同級生3人を逮捕・補導」
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120725-00000957-yom-soci


これらの問題に関しては、今後の警察や裁判に委ね、注視したいと思います。
と同時に、亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、被害に合われた関係者の方々の心中をお察しいたします。

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「人はどのような時に自殺を考えるのだろう?」それは≪生きる意味を無くした時≫ではないでしょうか。

ここからは、自殺を考えた高校時代の自分を振り返り
今思うところを書いてみたいと思います。

思春期には、だれもが一度は「自分の生きる意味」を問いかけるでしょう。
「私は一体何のために生まれてきたのだろう」
「私は一体何者か」
「私は一体何のために生きているのだろう」
アイデンティティー(自己同一性)への問いかけです。

私が「自殺」を考えたのは、高校2年生の時。
大学進学を控え、進路について迷っていた時です。
自分の進む方向と、周りからの期待との軋轢に苦しんでいました。
この時が初めてではありません。

なぜか、物心付いたときから
「これでいいのだろうか?」
との問いかけを持ち、生きる意味を模索していたように思います。
高校進学の時も、迷いはありましたが、
いよいよ大学進学を前にして
その問いかけが、一気に浮上してきたのです。

それまでは、
親の敷いた安全な道(親が安全な道であると考えていた道)を強要され
それに抵抗することを一切許されず、仕方なく必死で走り続けるしかなかった道。
それへの不満と疲れが
私の限界を超えたのでしょう。
抵抗ではなく、諦めでした。
「もう私にはこの道しかないんだ」
と思った瞬間
「この世から逃避するしか私の生きる道はない」
と確信しました。
そこから「自殺」を考え始めました。

その後、どのようになっていったのかは別の機会に譲るとして、
人が「自殺」を考える時、
それはきっと
辛いから、苦しいから、難題を乗り越えられないからではなく
「生きる意味を見出せないと思った時」ではないでしょうか?
どんなに苦しく辛くとも、
そこに何らかの意味を持てたなら
人は本来、誰もが、どんな艱難辛苦でも切り開いていくパワーを持っていると思います。
心が強いとか弱いとかではなく
生きる意味を見出せないからだと考えます。


その一例として
自殺はもちろんのこと、
うつ、引きこもりなどの人たちが
精神分析によって、生きる意味を持った時
間違いなく歩み始める姿を、何人も見ているからです。


シニフィアン研究所では精神分析によって
生きる意味を持つお手伝いをしています。
興味をもたれた方はこちらまでご連絡ください。http://signifiant-lab.com/
「思春期の悩み」のサイトも参照ください。http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/

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