2012年7月9日月曜日

240)転んでも泣かない子ども

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

今日は「転んでも泣かない子ども」 について書きます。

転んでも泣かない子どもは、強い子どもとは限らず、
痛くても泣けない子どもではないだろうか。
泣くことを自分に禁じた子どもではないか。
泣けない大人になるのではないだろうか。
このようなことを考えてみようと思います。

小さい子どもが転び、「痛いよう」と泣いていると仮定します。
この時、考えられる光景は、

1)お母さんが駆け寄り、「だいじょうぶ?痛かったねえ」と言いながら抱き上げ
「痛い、痛いの飛んでけ~」と言っている
2)「だからいつも言ってるでしょ、走ったらだめだって」と叱っている
3)「だいじょうぶ、痛くない、痛くない」と否定している
4)「ドジだね」と一言
5)携帯やスマホに夢中になって気付かないetc

1)は、転んで痛いことを認めて、痛いのが無くなるように促している=共感
2)は、転んだのは親の言うことを聞かないからだと逆ギレしている=子どもが悪い
3)は、転んだことは認めているが、痛いことを否定している=痛みの否定
4)は、転んだのは、子どもがドジであるからだと決め付けている=ドジな人間
5)は、転んだ事実を無視している=無視
このように言い換えられるでしょう。

これらの反応を常にされ続けていたなら、
2)の子どもは、「親の言うことを聞かない自分は悪い子だ」とのメッセージを受け取る
3)の子どもは、「痛いと感じている感覚がおかしい」と痛みを感じないようになる
4)の子どもは、「自分はドジな人間である」と自己規定する
5)の子どもは、「自分は存在していない」「自分は存在する価値がない」と思うようになるのではないでしょうか?

このようにして、転んでも泣かない子どもが出来上がる気がします。
そして、誰かが、転んでいても
「ドジな人だ」「弱虫だ」、あるいは無視して通り過ぎることでしょう。

1)のような反応をしてもらったことのある子どもは、
転んで痛いと泣いている自分の感覚は当たり前だと思い、
お母さんが痛いことを分かってくれて、
同じように、早く痛いの飛んでいけ~と思ってくれている。
このように、痛いありのままの今の自分を、恥ずかしいと思わずに泣けることでしょう。
そして、
誰かが転んで泣いていたら、きっと
「だいじょうぶ?痛い痛いの飛んでけ~」とその人の痛みを分かち合うに違いない。
そして、大人になっても、人の痛みが解る人間になることでしょう。

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